私の本棚 
読んだ本の紹介、書評のページです。
邪馬台国をめぐる1000年の謎を解く
「邪馬台国の全解決」 中国「正史」がすべてを解いていた (著者 孫栄健) を読む  石黒功(2020.7.23)

”「邪馬台国の全解決」中国「正史」がすべてを解いていた” は、中国史書の専門家 孫栄健が著述した歴史書で、日本書紀の時代から1,000年を超える間 多くの日本人を悩ませてきた邪馬台国の謎について、三国志を中心に後漢書、晋書など当時の全ての史書や書籍を精緻に検証して導き出した驚愕の結論である。 私のように長年の邪馬台国フアンにとっては待望の1冊である。
本書は38年前に初版が出版され、大きな反響を呼んだようだが、その時は幾つか解けない謎が残されていて、賛否両論、半信半疑の受け止め方が多かったらしい。 今回はその時の謎を全て読み解き、決定版として出版された。私が読んでみても、全てに論理的にも、計算上も整合が取れているように思う。今後、歴史学者からも 考古学者からも厳しい精査が行われると思うが、その議論が楽しみである。
尚、私の本書の要約は邪馬台国が何処にあったか、卑弥呼の墓は何処にあるか、までであり、実はその後に、当時の政治状況(権力構造)や卑弥呼の死後の混乱の様子、 古事記への繋がり(孫栄健の推論)などが書かれているが、紙面の都合により割愛している。 全文は こちら を参照されたい。

読書ノート: タリバン     アハメド・ラシッド著、坂井定雄・伊藤 力司 訳、講談社 2000年10月
                                     汐崎郁代(2016.8.30)

2016年8月25日の新聞で、タリバンがアフガニスタンのアメリカ系大学を襲撃したというニュースを見た。タリバンの名前は21世紀初頭位まではよくマスコミに 登場したが、最近はイスラム国を名乗る集団のニュースが多い。しかし、いずれもイスラムを旗印に掲げた過激な布教活動と見れば、根は同じかも知れない。
この本の著者はパキスタンのジャーナリスト。英・米放送局のレギュラー解説者を務めるなど、世界的にも知られており、今年6月にはJICA主催のセミナーでも講演 している。本書はアフガニスタン紛争が勃発し、やがてほぼ終息する、2000年初めころまでの丁度21年間、著者が地道な取材と研究を積み重ねて執筆した報告書であり、 そこでは、タリバンの本質が示されている。
すなわち、物心つくか、つかないかの幼時から繰り返し教育され、戦うこと以外に自身の存在理由を見いだせなくなる過程で、あの勇猛果敢にして残虐な「イスラム戦士」 が育って行く。教育というものの大切さと恐ろしさを思い知らされる気がした。
同時に、周知のこととは思うが、中東地域の紛争が、米・ロシアを中心とする各国の政治・経済的思惑によって油を注がれ、利用されて来た経緯や、麻薬密売ルートの 闇についても書かれており、アフガン人に焦点を合わせながら克明に検証されていて大変興味深い。以上の理由で、ここにご紹介させて頂く。
参考図書:
 1)「マスード 伝説のアフガン司令官の素顔」マルセラ・グラッド著、アニカ編集部訳
   この本はイスラム教徒の理解、偏見の払拭に役立つかも知れない。イスラム教徒と云えども普通の人間であり、特に主人公及びそれをとりまく人々の心優しさ・    真摯さを客観的に伝える好著と思う。マスードの人柄に惚れ込み、紛争中の17年間も行動を共にした報道写真家の長倉洋海も、インタビューに応じ、また多くの    写真を提供している。
 2)「イスラム教入門」中村廣治郎 著、岩波新書
   「入門」とは云え素人には可成り手強いが、1つ挙げれば、キリストはイスラム教の予言者の一人であること、従ってキリスト教はイスラムの1宗派として始まった    ことも書かれている

私の推薦する1冊の本            福田信一郎(2016.03.03)
日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた
著者:嶌 信彦(ジャーナリスト、元毎日新聞、日本ウズベキスタン協会会長)  角川書店発行

日本が敗戦後満州にいた日本軍将兵約57万5千人がソ連の捕虜となりシベリアへ抑留され、そのうち約5万人が更に中央アジアやモンゴルなどへ送られた。彼らは極寒の地で 過酷な強制労働に従事させられ約5万5千人が死亡した。
本書はシベリア鉄道で中央アジアのウズベキスタンの首都タシケントに送られた捕虜たちが、シベリア抑留の悲劇とは違ったソ連での抑留生活、即ちオペラ劇場建設に従事 した抑留者たちの奇跡の物語である。
当時、ソ連は文化面や宇宙開発などで欧米に「追い付け追いこせ」をモットーにソ連の各共和国に1か所オペラ劇場建設の計画を立てた。タシケントのオペラ劇場の建設の ために送られてきた将兵は満州の旧陸軍航空部隊の永田行夫大尉を隊長とする457名の工兵で、元大工、電気工、とび職等技能者や技術者達であった。
彼らは旧ソ連の4大オペラハウスの1つとなるビザンチン式様式の(ナボイ劇場を2年後のロシア革命30年に当たる1947年10月に完成させるために、厳しい収容生活に有りながら 「後世に日本の恥となる劇場は作らない。その上で全員が元気で帰国する」ことを使命として若干24歳の永田隊長の統率の元、日本人の技術、勤勉、団結力を発揮し懸命に 働き完成させた。またソ連側の収容所長の人間性、市民や現場の親方たちとの心温まる交流、地元女性との悲恋等多くの逸話が描かれている。
1966年タシケント襲った直下型地震にもびくともしなかったことから日本の技術の優秀さがさらに高く評価された。当時の抑留者からの面談や現地調査を基にした物語は 読者を感動させ、かつ日本の評価を高めてくれた大先輩に感謝の念が禁じ得ない。
福田は2001年初めからタシケントに赴任した。赴任早々以前から評判を聞いていたナボイ劇場を訪れた。そこで会った年輩の方がこんな話をしてくれた。当時建設現場を 息子に見学させていた母親は「坊や、大きくなったら、この日本人のように勤勉な人になるんだよ」と諭したと言う。その後赴任、出張等約10年間ウズベキスタンに 関わってきた。福田が最初にタシケントの土を踏んだ時から、日本人である自分は他のどこの国でも経験したことのない地元の人たちの温かみや親切さ、尊敬のまなざしを 感じ気持ちよく仕事や生活が出来、かつ成果を出すことが出来た。これはナボイ劇場に従事した先輩たちが困難な仕事を通じ得られた日本人に対する高い評価のお蔭だと 常に感謝している。