「カナダ社会で暮らす」                                         2009.10.04
                                                                            JECK評議員  田 篭 勝 美
                                   技術士(水道部門、建設部門)

  水と共に生きて35年、定年が気になりだした50代後半、若い頃から膨らませていた海外への飛躍を実現する為、定年を前倒しして社員約250人のカナダ企業へ自力で転職し、1998年から約4年間をバンクーバーで過ごした。
それまで、オランダへの留学(衛生工学)、東南アジア諸国における多くのODAプロジェクト参画、技術指導、現地SV、個人旅行等を含め約40ケ国への渡航歴があった.日本企業を卒業し、バンクーバーを目指したのは、国連が世界の都市の中で、住環境の評価でバンクーバーがベストの都市としてランクしていた事による。また、カナダは移民による多民族国家と言われ、この国の企業社会に身を委ね、異文化を同時に体感すること、さらには日本人技術者として集大成した自己の技量を国際社会の実務の場で評価することが目的であった。会社は、まさしく「水」を媒体とするウオーターパークのデザイン・設計施工を社業に、この分野では北米をはじめ、世界的にもよく知られ、デザイン情報・作品・製品を全世界に向かって提供している著名な会社である。

  転職にあたっては、就労VISA取得が最優先であったが、カナダ政府移民局は外国からの技術者採用に難色を示しVISA取得に約8カ月を要した。いざ会社生活・日常生活を始めてみると色々と戸惑う事に出会い、先ず、住居の確保は日刊紙面に掲載される賃貸情報を基に不動産屋とコンタクトし自分の足で探すのであった。成約しても不動産屋への手数料は無く、半月分の敷金を入居時に払うのみである。 市内の的を絞った地域を散々探し回り、家具・台所用品が一切合切装備されている賃貸マンションを探しあて、カナダ生活のベースを確保したのである。

  さて、会社生活であるが、会社は一週37・5時間の労働時間を守れば給与を払うだけで、100km離れた住まいから通っても住宅・交通費の手当ては一切無く、そして健康管理は自己管理が徹底しており、一切関与しない。会社を離れれば家族と共に過ごすプライベートの時間となる。だから、夏のバケーションともなると一ヶ月近くコテッジに篭り、家族とともに夏のバカンスを過ごせるのである。この間、会社への連絡は一切しないし、会社もしない。仕事のテンポはややスローにはなるが、仕事は順調に進むから気にする事はないのだ。マネジャーとはいえ残業代は付かないがオーバータイム分は代休に換算し夏の休暇に加算して休むのである。

会社では、社長が一番よく働き、マイカー通勤で自分のことは自分でこなし、どこかの国の社長とはずいぶん異なる。日本の管理職のように滅私奉公的に家庭を犠牲にしてでも働く事はこの国では評価されることは無く、個人の権利がしっかり守られているのだ。ところが、意外と冷たい会社の風土があることも事実で、技術士の試験に合格した設計マンが給料アップの交渉を設計部長と行った話であるが、給料を上げてくれなければ会社を辞めると交渉の条件を出したまでは良かったが、給料は上げない、辞めたければ辞めればよいとの回答で、この設計マンは結局辞めざるを得なくなった。
仕事は自己の責任範囲を工程どおりに消化し出力すれば良く、週一回の工程会議で進捗状況の確認を行い、設計データー・図面類は全てコンピューターに登録し部門間の調整を行う。仕事は個人のブースで行うので大変集中でき、ストレスもたまらず能率が上る。会社は社員を教育して育てる事はしない、去る者は追わず来る者は歓迎である。退職者が出ると、数日もすると代わりの技量を有する技術者が入社してくるのだ。
反面、自己の技量に自信がつくとさっさと他の会社へ転職する、ところがポテンシャルを上げて数年もすると又戻ってくるブーメラン現象もある。さすがにカナダは移民の国であり、価値観が異なるいろんな国々からの移民が多く、社内には約10数カ国からの社員が同じ目的で一緒になって仕事をするのである。世界各国に向けて製品を出荷しており、日常的に各国の言葉が飛び交い国際色豊かな雰囲気であり、之がカナダ的と実感するのだった。入社して半年ほど経ったころ、そろそろ健康診断があるだろうと予期していたが結局一年が経ってしまった。会社に聞いたら自己管理するのだとあっさり言われてしまい、ホームドクターを探し、以降の健康管理は家族を含め自己管理に徹する事になった。要求される業務・責任範囲を予定通り消化すればよい仕組みである。

  初めての冬、バンクーバーにしては珍しく20cm程の雪が降り、出勤時間に間に合うように早起きして、バス停から雪道を1時間近く歩き会社へたどりつたが、誰一人会社へ来ない。昼近くに一人が車で出社してきたが、結局その日は昼で退散した。翌日、皆に聞いてみると、雪の中危険を冒して車で会社に来ることは無いのだとゆう事を知り唖然とする。車社会ならではの習慣のようだ。丸一年も経つと言葉にも仕事にもなれ、マネジャーとしての自立心・自己管理も芽生えた事もあり、給料アップを交渉し希望が叶ったが、実質の収入は税率が上り、アップ前よりダウンしたのだった。又、税法上内外の所得が累積課税の対象と成り、油断すると予想以上の税金を支払う事になる。会社生活と個人生活は完全に区別され、家庭の中に会社の事が入り込む余地は無い。だからストレスやフラストレーションを感じることは無いのだ。すっかり、仕事にも自信が出来、これから順調に過ごし65歳の定年まではカナダで生活したいと夢見ていたが 移民局の就労VISAの更新、延長が認められず止む無く帰国したのだった。

  顧みると、僅か4年足らずのカナダ企業での生活であったが、日本人を意識することなく職場では英語を共通語として仲間と和気あいあい仕事が出来たこと、難しい技術への挑戦、柔軟な発想の風土等を懐かしく思い出している。そして、中南米、北米、南米、中近東、東南アジア(台湾・韓国・中国等)向けに大きなプロジェクトを数多くカナダ人技術者の立場で完成させた実績は国際社会で通用する技術者としての自負を強めたのである。この会社を退職する時の、社長の『期待以上に良くやった』という送り言葉を胸に熱く感じている。そして、地球温暖化による水資源の不足が懸念される昨今、帰国した今でも、生涯現役を目指し、海外技術支援に情熱を燃やし、培った「水」の技術を開発途上国の若い技術者たちに伝承したいと、日々関連のNPO法人での活動に余念がないのである。(T)

                                       <2009・10・4> 初稿