メキシコ文化にふれる(サン・ルイス・ポトシ州の州都)  
                                         
JECK会員 工藤眞也

1、はじめて出会ったメキシコ人

 サボテンの花咲く情熱の国メキシコ、スペイン人と先住民の血を引き継いでいる混血民族が2000mの高地に暮らしている。
髪も眼も我々東洋人と変わらない黒い色で、背丈も殆ど我々と変わらない。ただ皮膚の色は強い日差しに耐えうるためか強い褐色であり、浅黒くもある。
日本人のひ弱とも見える皮膚の色にはじめて出会うとき、彼らには特別な感覚が走るようである。さすがに大人たちに露骨な感情の変化を見たことはなかったが、初めて見る日本の女性を眼にして小さな子供が泣き出したのを目撃したことがあった。
ただし、泣き出した原因がメキシコ人と比較し、能面のように白くみえた日本人の女性の顔が原因であったかは、私の想像の域を出ないが・・・。  

左の写真は、教会にて朝のお祈りをする健康そうな3人の娘と母親。写真は許可を得てから撮らしてもらったが、見慣れない日本人に小さい子供たちは瞳を丸くして見つめていた。
 着任当初、私の顔は日焼けしておらず青白だった可能性がある。カトリック信仰の強いメキシコでは褐色の肌色グアダルーペの聖母が信仰の対象で、キリスト教と先住民インデヘナの信仰の融合要素がみられる。

2年間、サン・ルイス・ポトシ市という地方都市で生活を送ったが、大部分のメキシコ人が我々日本人に対し信頼感と親近感をもって接してくれた思い出が多い。  この街には、日本製の電気製品や自動車が多く見られるので、日本人に対する感情もこれらの性能や品質に対する信頼から来ているのかも知れないし、古い時代からお付き合いのあった先輩諸君の品行のお陰かも知れない。いずれにしろ、冷たい視線を感じなかった事に日本人であることに感謝したことは確かである。
 タクシーの大部分はトヨタ製の中古車であり、かなり年代を経た傷だらけの車にも関わらず“燃費が良い”との運転手の評価にむず痒い思いであった。 私の住んでいた所は、首都メキシコ・シテイから北西420km離れた人口200万人を越える州都であるが、昔、銀鉱で栄えた歴史のある落ち着いた街である。区画整理された近代的な市街地と歴史ある教会を中心とする旧市街地が共存する。 


写真左は「大天使の門」といわれる世界遺産カルメン教会(18世紀)の有名な祭壇であり、写真右は美しいハカランダの花咲く、閑静な住宅街である。

2、思いがけない温泉施設との出会い

 メキシコは世界一の銀の生産国であることは良く知られているが、スペインよる征服以来、16世紀から18世紀にかけてサン・ルイシ・ポトシもグアナファト、サカテカスと同様、多くの鉱山の町が栄えた。現在昔のような銀の産出はされてはいないが、州には銀鉱の採掘場跡をみることができる。首都メキシコ・シティは下図のように火山活動の活発な火山帯のまっただ中にあり頻繁に災害が生じている。 

左図は日本メキシコ学院出展
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1985年に6,000人を超す死者を出した大地震に診まわれているが、数年前にも、大地震があって太平洋に面した海岸地帯の都市に大変な住宅崩壊と死傷者が出たもこの火山帯が原因である。又、メキシコ・シティの首都中心地域でさえ過去の大地震によって崩壊したビルが修復されない状態で残されているところもある。もっとも上右-写真の崩壊ビルのある地域は古代遺跡のある地域のため、容易に修復できない事情があるようだが。
幸いなことに、サン・ルイシ・ポトシ州は火山帯から数百km離れているので、強い地震の災害の心配はないが、火山帯の影響で日本のように温泉が彼方此方に見られる。
  市から2時間ほど離れた田舎にゴゴロンと称する温泉町があるが、少し温めとはいえ温泉施設として営業されている。レストランや宿泊施設が完備され楽しい行楽地ではあるが、残念ながら“地球の歩き方”には記載されてはいない穴場の一つである。   












  専門職の立場からみても水質浄化設備も完備され、施設の整備も行き届いているので安心して利用できる。従って、地元の住民が利用できる入場料ではないため、殆どが欧米人客のようであった。